東野圭吾『殺人の門』

東野圭吾さんの『殺人の門』を読みました。

 

 

歯科医の息子・田島和幸は、何の不自由もない幼少期を過ごした。
しかし、祖母が老衰で亡くなったあと、食事にヒ素を混ぜられていたのだという噂が立ち、父の健介が営む歯科医院では、閑古鳥が鳴くようになった。
両親が離婚し、健介についていった和幸だったが、健介は女につぎ込んで身を滅ぼしてしまう。

苦労をしながら工業高校を卒業し、工場で働くようになった和幸だったが、先輩と馬が合わず、1人つまはじきにあった状態になってしまう。
そんな和幸に声をかけてきたのが、小学校からの友人・倉持修だった。

こういう、間が悪いというか、不器用な奴っているんだよなぁと思いながら読んでいました。
人一倍苦労しているのに、報われないどころか、悪い方へ悪い方へ運気が流れていってしまう。
創作なのだから、その運の無さを楽しめば良いのでしょうが、なぜか和幸と一緒に苦しい思いを味わってしまうのは、東野圭吾さんの筆力のせいでしょうか。

最後にパズルがどんどん組み上がっていくところは圧巻。
しかも、見る角度を変えるたびに形が変わっていくのですから、息をつく間もありません。

『殺人の門』というタイトルですが、意外と殺人という門に辿り着く道が、狭く険しいものだと言うことに気づかされます。
動機、殺害方法、タイミング…などがすべて揃うことというのは意外と少ないものです。
そのうちの1つに当てはまるだけで殺人に至るのであれば、凶器にもなる包丁を手にする人の数だけ殺人が起きてしまうことになります。
殺人を計画していても、なかなか実行に至らないケースがある反面、動機や殺害方法、タイミングなどがたまたま合ってしまって、衝動的な殺人が起きてしまうこともあります。

作品を通して、殺人を構成する要素がすべて揃うのを楽しみにするような、恐れるような、不思議な気持ちにさせてくれる作品でした。

 

 

 

 

 

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