東野圭吾さんの『人魚の眠る家』を読みました。
播磨和昌は、脳と機械を信号によって繋ぐことで人間の生活を大きく改善するブレーン・マシン・インターフェースの開発を行っている会社の社長だったが、娘の瑞穂がプールで溺れて植物状態になってしまう。
脳死による臓器提供を拒んだ和昌は、横隔膜ペースメーカーを埋め込んで人工的に呼吸ができるようにしたり、脊髄に信号を送ることで筋肉を動かせるようにしたりする。
当初、数日から数ヶ月と言われた心停止までの期間は飛躍的に延びるが…
なかなか濃いお話です。
機械の力を使うことで、このように脳死状態の子供を生存させることもできるんだ、というところで話が終わっていれば、「ふーん、すごいね」と、拍手をして終えることができるのですが、それはまだこの話の前半部分。
後半は徐々に視点を変えていき、臓器移植を待っている子供たちの現状や、植物状態の子供を見る周りの目に言及していきます。
瑞穂の弟・生人の誕生日に妻の薫子が取った行動は、突拍子もないものでしたが、考えさせられる行動でもありました。
章のタイトルからも、最後に起きることは想像できたのですが、ここでも薫子の行動は私の想像とは異なったもの。
それでも、彼女らしいと思えてしまいました。
エピローグも良かったし、久々に涙した読書でした。
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