内田康夫さんの『日光殺人事件』を読みました。
日光の華厳の滝で自殺者が出た。レスキュー隊員が遺体の回収作業のために下りると、自殺者の近くに白骨化した遺体を見つけた。遺体が指にはめていた指輪から、遺体は智秋家の次男・次郎であることがわかり、関係者が騒然となる。
一方、浅見は天海僧正が明智光秀だったという俗説についての取材で日光を訪れていた。
さらに、智秋次郎の葬儀に参列した短歌仲間の山田俊治が殺害される。
智秋次郎が言い残した「ニッコウで面白いものを見た」という言葉の「ニッコウ」の言葉遊びが物語の中心になっています。
中盤、それまでにわかったことをつなげて考えれば、犯人がわかりそうなものなのに…ともどかしく感じるのですが、そのあとにさらなる展開が。
内田康夫さんはプロットを作らずに作品を書かれるといいますが、書き始めの段階でどこまで頭の中に物語が構成されているのだろう? 逆に言えば、どこからが書きながら組み立てていった部分なのだろうと考えると空恐ろしく感じてしまいます。
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