中山七里さんの『さよならドビュッシー』を読みました。
あらすじ
高校の音楽科に入学が決まっていた香月遥は、家族が留守の日に、従弟の片桐ルシアとともに祖父が暮らす別棟に宿泊した。
しかし、深夜に出火。祖父とルシアは焼死し、遥も重度の火傷を負ってしまった。
全身に皮膚移植を施した遥はなんとか松葉杖を使って歩けるまでに回復し、高校への通学も開始する。
ピアノも続けたいという思いを訴えたが、これまで師事を仰いでいた教師にはさじを投げられ、新進気鋭のピアニスト・岬洋介の指導を受けることになる。
奇跡的な回復を見せた遥は、学校の代表としてアサヒナ・ピアノコンクールに出場することになる。
感想
毎年夏が近づくと、世間も巻き込んで大々的に放送されるテレビ番組のことを思い出してしまいます。
障害者たちのチャレンジを皆で見守って涙する、あれです。
障害を持った人が新しいことにチャレンジすることは素晴らしいことだし、それをサポートするのも、それを見て感動することも決して悪いことではないと思います。
ただ、あの番組に出演する障害者の人たちが求めていることは、ちょっと違ったところにあるんじゃないかなって思ってしまうんです。
たぶん、あの番組に出演する障害者の人たちは、たとえ自分が「客寄せパンダ」になったとしても、自分たち障害者の周りの環境が少しでも良くなればと思って出演しているんじゃないかなと。
それを、「感動した!」ですませてしまって良いのかな?って思ってしまうわけです。
この作品でも、重度の火傷から蘇った遥は、復活のヒロインとして世間から注目を浴びることになってしまいます。
また、「障害者や怪我人をじろじろ見ようとしない。いや、見たくないと思っている。だから、視界に入ってきても、さっと視線を逸らせるか遠ざかろうとする」と痛烈に批判している部分があります。
まぁ、私も偉そうなことを言えないのですが、そういう部分をうまく突いた話になっているのは確かな気がします。
「どんでん返しの帝王」とも言われる(言われているらしい)中山七里さんにしては、どんでん返しが起きそうな雰囲気がないなぁと思っていたら、最後に大どんでん返しが…
なるほど、これが中山七里文学なんだと、思わず舌を巻いてしまいました。
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