赤川次郎『悲劇のヒロイン』

赤川次郎さんの『悲劇のヒロイン』を読みました。
 

 

社長令嬢の辻希世美は、父・浩之介が経営する会社が倒産し、一家が路頭に迷う羽目に…
しかも、幸之助は会社の後始末もせずに、恋人と駆け落ち。
母は心労から精神をやられ、入院先の病院で自殺。
さらに、妹の秋子が頭痛を訴えたため、病院で検査を受けると脳腫瘍が見つかった。
着替えを取りに家に帰ると、弟の宗一郎がヤクザの手下を刺し殺していた…

金銭のやりくりがにっちもさっちもいかなくなった希世美だったが、ヤクザの親分・大町が希世美の度胸を見込み、仕事を持ち込んできた。
度胸なのか、人間性なのか、希世美は次々に降りかかるピンチを切り抜けていく。

ハルキノベルスに寄せられた「著者の言葉」として、〈次から次に不運に襲われるヒロインが、いかにしてめげずに生き抜いていくか。――もちろんこんな体験をする人はいないだろうが、我が身をヒロインに置きかえて読んでいただきたい。少々の挫折が気にならなくなるだろうから……〉と書かれています。

でも、これくらいの悲劇であれば、赤川次郎さんの作品を読んでいれば、何度も遭遇するレベルの話ではないだろうかと思ってしまいました。
確かに、度重なる悲劇によって、希世美は追い込まれていくのだけれども、常に前には開けた道が用意されています。
外れた道かも知れないし、そっちに踏み出したらどうなるかわからない道ではあるけれども、ちゃんと道はある。
しかも、小説の中だから、そっちを選ぶのもありなのかなと思えてしまうので、それほど追い込まれているように見えなくなってしまいます。

トコトンまで追い詰められて、もうどうしようもなくて、でも、死ぬわけにもいかず…
といった小説に需要があるのかどうかはわかりませんが、このタイトルであれば、とことんまでいってしまっても許されたんじゃないかなぁと思ってしまいます。

この作品の内容だと、数々の困難にめげず、逆境を乗り越えて生き抜いたヒロインの1人の話に終わってしまいそうで、ちょっともったいない気がしました。
せめて、完全にお先真っ暗の状況を1度作って、「草の根でも食べて…」ってところから道が開けていった方が面白かったんじゃないかなって思いました。

 

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