赤川次郎さんの『キネマの天使 メロドラマの日』を読みました。
映画監督の正木悠介は、スクリプターの東風亜矢子と共に、次回作の出資者を探していた。
そんな正木は、偶然高校の同級生本間ルミと遭遇。
ルミは夫から継いだ会社を大きくし、そのトップに立っていた。今回の正木の新作も、ルミが制作費を全額出してくれると言う。
一方、亜矢子は、女性が自殺しかかっていたのを止める。
女性は、シナリオライターを目指しており、1度は映画化が決定したのだが、計画が流れてしまったのを苦に自殺しようとしていた。
女性のシナリオの最初の数ページを読んだ亜矢子は、正木にそのシナリオを見せる。
正木の手によって映画化されることになったが、今度はヒロインとして亜矢子が見つけてきた女優は、夫が殺人の罪で服役していた。
スクリプターの東風亜矢子を主人公とする「キネマの天使シリーズ」の2作目です。
スクリプターとは、映画を撮影する時の記録係。映画はカットごとに分けて撮影されますが、齟齬がないようにするのが主な役割です。
ハリウッド映画などで、カーアクションでボコボコになったはずの車が、次のシーンで綺麗になっていたりということがありますが、あれはスクリプターのミスということになります。
そんな大きな話でなくても、俳優の立ち位置や身体の向き、髪型やポケットチーフの覗き具合など、ありとあらゆるところに気を配る必要があります。
このシリーズの主人公である亜矢子の場合、正木監督の右腕として、正木が撮影に集中できるように雑用をこなしたり、さりげなくアドバイスしたりと、大忙しの毎日を送っています。
この作品は、最後の最後まで「人が死なないミステリ」として進行。
厳密に言えば、亜矢子が見つけてきた映画のヒロイン・五十嵐真愛の夫は殺人の罪で服役しているので、1人は死んでいることになるのですが、作品の中では誰も死ぬことなく物語が進んでいきます。
でも、言われなければ気づかなかった方も多かったのではないでしょうか?
それだけ、亜矢子の毎日は、スリルとサスペンスに満ちあふれています。
メロドラマを撮るという話なのですが、この映画に関わる人たちも、メロドラマのような事情や出来事を抱えています。
「映画を撮っている人たちを撮った映画」を見ているような、どこか現実離れしたような、でも、登場人物の心の動きまでとらえている、面白い作品だと思います。
映画のラストシーンの解釈に違いが出る場面なんて、思わず唸ってしまいました。
映画が大好きな赤川次郎さんならではの作品だと思います。
いつも思うことなのですが、映画の撮影現場を舞台にした作品を書かせると、登場人物たちが輝いて見えるのはどうしてなんでしょう。
過去の「赤川次郎」記事
過去の「キネマの天使シリーズ」記事
コメント