赤川次郎さんの『さすらい』を読みました。
あらすじ
時の総理大臣・大芝の意を受けた「国を愛する心を描いた小説」の執筆を断り、日本を逃れた作家の三宅邦人は、北欧にある名も無き国の小さな町で暮らしていた。
ある日、漁船が難破し、町の漁師が死んだ。
行方不明になっていたその漁師を、偶然発見したのが三宅だったのだが、その知らせが日本に入るまでの間に、「三宅邦人が水死体を発見した」という文句が「三宅邦人が水死体で発見された」と変わってしまっていた。
これ以上追われることがなくなると安堵する三宅だったが、元編集者で、現在の政権に属する中田が、三宅の死を確認しに来ることに。
しかも、三宅の娘の志穂と、孫娘の真由も、同じ便で三宅が住む町へ向かっていた。
感想
政府の考え方が偏り、警察組織に大きな権力が与えられているという設定は、1982年に刊行された『プロメテウスの乙女』を思わせます。
政府の意に沿わない文化人たちを、排除していくというのも、共通しているでしょうか。
一方で、主な舞台を北欧の小国に据えたのは、『プロメテウスの乙女』とは大きく異なる点です。
三宅が逃れていった町では、英語も通じず、心と心を通じ合わせることで、三宅は現地の人たちとコミュニケーションを図っています。
「国を愛する心を描いた小説」の執筆を拒んで、日本を捨てた三宅ですが、人を愛する心で、人と人との繋がりを築き上げているわけです。
それは、言葉によるコミュニケーションよりも、大きな絆を生むことになります。
この作品を通じて、赤川次郎さんが言いたかったこととは…
その答えは、明確に用意されていたような気がしました。
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